「自己責任」社会と危機管理政策における「地域責任」
―人社?川島佑介准教授に聞く「フォーマットの統一と広域連携が鍵」
「自助」「自己責任」が強調される社会の中でしんどさ、生きづらさを感じているという方もいるのではないでしょうか。6月に岩波書店から刊行された『自助社会を終わらせる―新たな社会的包摂のための提言』は、「自助社会」の問題点を深掘りしながら新たな方向性を提言する1冊。政治学、経済学、社会学、哲学などさまざまな分野の著者が並ぶ中、最年少の著者として名を連ねているのが人文社会科学部の川島佑介准教授です。川島准教授は「自己責任」と通ずる「地域責任」という言葉を用いて、コロナ禍の中複数の県などで独自につくられた接触確認アプリを例にあげて、危機管理政策の地方分権に関する問題点を指摘しています。詳しい話を聞きました。
―政治学者の山口二郎さん、「子どもの貧困」の問題で知られる阿部彩さん、教育社会学者の本田由紀さんといった共著者の面々に、川島先生も名前を連ねています。この本がつくられた経緯は?
川島「これは生活経済政策研究所という、どちらかというと公正や平等を志向する研究会での議論を踏まえた本なんです。メンバーのお一人から声がけいただいて私も参加しました。錚々たるメンバーの中で研究報告をするのは緊張しましたが、良い示唆をたくさんいただき、思索を深める貴重な機会になりました」
―「自己責任」が強調される中、それと地続きの「地域責任」という概念を用いて地方分権の課題を捉える視点は興味深かったです。この言葉はオリジナルですか?
川島「『地域責任』というのは私がはじめて使った言葉ですが、平成の大合併の頃から地方分権の問題はいろいろと議論されているので、突飛な概念ではなく広く受け止めてもらえるものだと思っています。その後も東日本大震災を契機に公助の限界ということが言われ、地方自治体もそれぞれがんばって対処しないといけないと......ということが改めて強調されるようになりました。まさに『地域責任』のあらわれですよね」
―今回着目したのが接触確認アプリ。茨城県でも『いばらきアマビエちゃん』という仕組みを独自に開発しました。それについて、複数の県の担当者にヒアリングしたり、感染者数の推移を踏まえた効果検証をしています。接触確認アプリに注目したのはなぜですか?
川島「そもそも危機管理政策をとりあげて検証したい、というのが出発点です。しかも私の専門は行政学ですから、政策の効果を見たい。最近でいえばやはりコロナということですが、その中でも機密度が高くなく、国の関与の強いワクチン接種のような施策でもなくて、自治体がある程度自由にやれるものというと、接触確認アプリが適切だな、と。調べやすさの点でも利点がありました」
―効果検証の結果、こうしたアプリを独自に開発した自治体と、そうでない自治体との間で感染者の割合に差異は見られなかった、つまり自治体ごとのコストがかかった割に効果は見られなかったということですね。
川島「はい、予想していたことですが、いくら個別でがんばっても効果につながっていないということです」
―それらを踏まえ、特に危機管理に関しては地方への丸投げではなく国がフォーマットを標準化して示すこと、それから地域間での広域連携が重要と提言しています。
ニュースを見ている印象だと、コロナ対策をめぐっては、知事たちは「もっと自治体に権限を」と主張していた印象なのですが、それは自治体の権限が足りないということより、国の決定の遅さやフォーマットの不在に問題があったということでしょうか。
川島「そうだと思います。コロナ対策では首長がかなりがんばっていますが、それは新型インフルエンザ等対策特別措置法の建付けとしてそうせざるを得ない。党派対立とかは関係なく、知事が本腰を入れないといけないんですね。特措法ではここまで感染が広がることを想定していなかったということもあると思いますが、それがうまくいってないということです」
―国が標準化したフォーマットを示す、というのは、具体的にはどういうイメージでしょうか?
川島「たとえばアメリカの場合、ICS(Incident Command System)という災害のマネジメントシステムがあって、連邦組織が組織編制から言葉遣いまで決めてしまって、州政府、地方政府はそれに従うようにつくられています。一方、日本の場合、防災基本計画でも自治体によって使う言葉とかがだいぶ違うんですね。『市民』と『住民』とか、『被災』と『被害』とか。構成もだいぶ違う。そんなにバラバラにする必要性があるのでしょうか。
たとえば東日本大震災のときも、被災地域の行政機能を、別の自治体が一時的に担うことがありましたが、そのときに当該自治体の防災計画を職員が一から読み直す余裕なんてなかなかないですよね。ある程度統一されていればそこはかなりスムーズになります」
―確かにそうですね。
川島「地方自治体の裁量を認め、きめ細かい対策を可能にしている、ということかも知れませんが、実際はフォーマットを決めたからって、盛り込むコンテンツは自治体の自由であって、それは自治の侵害とかではなく、むしろリソースの少ない自治体に対するサポートになると思うんです。小さな自治体だと、危機管理部門の職員が数人ということもざらにありますから」
―地方分権が基本のアメリカで、フォーマットや言葉の統一を強く進めているというのは意外でした。
川島「日本では、中央集権=悪という素朴な認識がしみついているところがありますが、実際には福祉国家というのは中央集権によって成り立ってきたわけです。管理の面でも資源の面でも、地方政府のみでじゅうぶんな福祉政策を展開することは不可能だったからです。重要なのは、中央集権か地方分権かという二者択一ではなくて、中央集権が向いている危機管理のような分野もあれば、地方の裁量を高めた方が良い分野もある、ということ。また、中央集権と地方分権を対立的に捉えるのではなく、役割分担と考えるべきだと思います」
―コロナ禍で全国知事会の露出も増えてきた印象です。この傾向をどう見ますか。
川島「知事会や、あるいは市長会、町村長会、さらにそれらに対応する各議会の団体を地方六団体といいますが、その存在は意外と無視できないというのが行政学の通説だと思います。『相互依存モデル』というのですが、かつて地方自治体は中央集権の中で従属的な存在として理解されていたのに対し、実際は中央政府が地方政府に依存している状態があり、日本は特にそうですね。中央政府がこういう政策をやりたいと思っても、中央政府自身はやれなくて、地方政府にやってもらうという形をとる。地方創生も、自治体に手を挙げてもらってそこに予算を貼り付けるやり方ですよね。その関係があると、自治体からの要望、声は無視できないんですよ」
―かといって地方も好き勝手できるわけではないですよね。
川島「そうです。地方創生ということで、観光や経済的な盛り上がりは地方の責任といわれていますが、人口の社会増をどこも一斉に目指すというのは現実的に無理で、むしろ共倒れを起こしかねない。ところが、そういうシステム自体を自治体が批判的に捉えているとしても、それに手を挙げないと自分が丸損になっちゃう仕組みになっている」
―文科省と大学の間にも同じような構造がありますね......。本では地方自治体のマンパワーが足りないということも書いていらっしゃいます。
川島「選挙のたびに『公務員が多すぎる』『もっと減らせ』と言われたりしますが、実際には日本の公務員は他国と比べても少ないことが知られています。有権者も、安直なイメージに流されるのではなく、きちんとした調査、分析に基づいて判断すべきです。もちろん、それは楽なことではないですが」
―自分は大丈夫だから、自己責任、ということではなく、自分も他者も生きていける社会をつくっていく市民の責任ということは考える必要がありますね。
川島「『自分だけは大丈夫』という感覚が、自己責任論を強めているところがあると思います。福祉でも、自分は貧しさと無縁だと思い込んでいる人がいますが、実際は紙一重。今は縁がなくてもいつかは縁が出てくる可能性はじゅうぶんにあります。自分だけでも安全なゾーンにいたいといっても、100%安全なんてことはどこにもないんです。『自己責任』というふうに切って捨てるのは楽だと思うのですが、リスクは常にあるということに向き合うことが大事だと思います」
書籍情報
宮本太郎編『自助社会を終わらせる』(岩波書店、2022年)
教員情報
かわしまゆうすけ●茨城大学人文社会科学部准教授。
1983年生まれ。専門は、行政学、比較行政論、中央地方関係論。著書に『都市再開発から世界都市建設へ ――ロンドン?ドックランズ再開発史研究』(吉田書店)など。
(取材?構成:茨城大学広報室(インタビュー:山崎一希))