フォトジャーナリスト?安田菜津紀さんの出張ゼミ
―茨城大?常磐大の学生と語った30分
10月9日、水戸市の主催、茨城大学?常磐大学の共催により、「ヒューマンライフシンポジウム2022 未来へつなぐメッセージ」が開催されました。ゲストはフォトジャーナリストで、認定NPO法人Dialogue for People副代表の安田菜津紀さん。
一般公開された第一部の基調講演と第二部のトークセッション(安田さんと、茨城大学人文社会科学部の横溝環准教授、常磐大学の富田敬子学長の鼎談)のあと、特別セッションとして、茨城大学?常磐大学の学生8人と安田さんとの「出張ゼミナール」が開かれました。入管の問題や差別、ジャーナリズムなどさまざまな関心をもった学生たち。それぞれ事前に安田さんの著書なども読んで理解や問いを深め、当日に臨みました。学生たちから安田さんへの問いかけと、それらに真摯に応じた安田さんの言葉をお届けします。
小林祐斗さん(茨城大学人文社会科学部2年)
今回の出張ゼミにあたって外国にルーツのある人たちが学ぶ夜間中学の現状や、難民、技能実習生の受け入れ態勢などを調べました。入管の問題などの背景を考えたとき、安田さんが著書で書かれていた、歴史の問題が表面化したときその国にルーツをもつ人をその国の代表のように扱ってしまう、という話が印象に残りました。確かに私たちは文化の一部を切り取ってしまいがちです。
安田さん:大事な観点だと思います。北朝鮮からのミサイル発射が続きましたが、こうした事態が起こるとネットにヘイトスピーチが溢れ、朝鮮学校に嫌がらせの電話がかかってくるということが繰り返されてきました。それらの行動は何ら問題解決につながりませんが、これもたぶん、ルーツを持つ人をひと括りにして攻撃対象と見なすことの顕れですよね。
さらに、日本の入管行政、外国人に対する政策は、彼らを権利、生活の主体と見ていくより、悪いことをしないだろうかという視点で管理、監視していく向きが色濃く、それが難民認定率の低さにつながっています。仕組みの組み直しが必要だと思います。
福島怜さん(常磐大学人間科学部3年)
日本人は未知なものに恐怖感を抱いてしまったり、知らないから差別してしまうということがあると感じています。難民の方を差別しない、不快な思いをさせないために具体的にどんなことをすれば良いのでしょうか。
安田さん:ファクトを冷静に積み重ねていくことが大事だと思っています。たとえば『難民が増えたら治安が悪くなる』というのは、完全にイメージですよね。日本に来る方は観光やビジネス目的というのが圧倒的に多くて、難民はほんの1万人と微々たるものです。それなのに、どうして難民の方ばかり取り沙汰して、他の圧倒的多数の人たちはスルーなのか。それは理にかなわないことです。海外から日本に来る人が増えても、外国人による犯罪件数は増えているわけではありません。そうしたファクトを重ねていくことが、これはただのイメージではないか、とか具体的に考える、落ち着いて向き合える材料になるのではないでしょうか。
五来汐里さん(茨城大学人文社会科学部3年)
難民の問題に関して政府もいろんな取り組みはしていますが、難民の意識と政府の対策との齟齬についてどう感じていますか。具体的にどういった点が表出されているでしょうか。
安田さん:繰り返しになりますが、日本の入国管理は戦前からの反省が反映されていません。この人は日本から出ていかなければならないかという "治安維持"の観点で判断する専門性と、この人は本当に保護を必要としているのかということを判断する専門性は、全く別ですよね。それを同じ入管というシステムで担っていることに限界があり、差別的な構造も生んでいるのだと思います。
具体例として、少し前の話ですが、アフガニスタンから難民申請した方への入管の担当者によるインタビューのまとめに、タリバンという政府のことが「タリバン族」と書かれているのを見たんです。タリバンは民族ではありません。つまり、基本的な事実を分かっていない人たちが彼らの命を左右しているということですよね。その人を保護する専門性が蓄積されていないというのは深刻な問題です。それで追い返され、命を落としてしまうという事態は実際に起きていますから、仕組みを変えなければなりません。
(仕組みを変えるのは難しいし、法律が阻害しているところもある、という五来さんの指摘を受けて)
確かに難しいんです。マイノリティに関わることで、多くの人たちの実生活にとっては関係ないことにできてしまう。ましてや入管の特別施設に収容されてしまっている人は声をあげられない。去年スリランカ人の方が亡くなったということがあって、そこから若干の変化を感じています。人が亡くならないと変わらないのか、遺族があんなにボロボロになって誹謗中傷を受けながら声を出さなければ社会システムが変わらないのか、とも思ってしまいますが、あのときさらに状況を悪くしかねなかった入管法改正案が国会を通過するのをストップできたのは、大学生、高校生といった方たちがこの問題に気付いて、声をあげたことが大きかったと思います。良くなる方向へあと一歩。そのためにもまずは『報せる』ことが大切ということですね。
野澤寿々花さん(茨城大学人文社会科学部3年)
前半のトークセッションの中で、難民に直接支援をするNGOの役割と、難民の声を世界に届けるジャーナリストでは、難民に対するアプローチが異なりそれぞれに重要な役割があるという話がありましたが、ジャーナリストの中でも、新聞社に勤める記者と独立系の記者との間で同様に役割分担があるのではないのかと考えています。安田さんの立ち位置と、日本の新聞社とで性質にどんな違いがあるのでしょうか。あるいは今の日本の報道の現状に喝はありますか?
安田さん:喝を入れたいことは......いっぱいあるけど、そうですね。日本のマスメディアの状況については、ジェンダーバランスのことや、逆に差別を煽るようなことをしていないかということは確かにありますが、メディアの中でうまく役割分担をできればと思っています。
シリアとかイラクの危険地には日本のメディアはあんまり来ませんが、今回ウクライナには主要新聞社はほとんど来ていると思います。大きな新聞社は多くの人に届けるということを大事にして、大きな戦況の話やそれに準ずる人の話に分量を割いていく。それも大事ですが、その中で取りこぼしてしまうことは何なのかというのが私たちの役割だと思っているんですね。
たとえば、ロマの方々のように、少数民族として生きていて日ごろから脆弱な立場に置かれている人が命からがら逃げたのに、『泥棒するんじゃないか』などと疑われて避難所へ入ることができない、といったことを伝えるのが私たちの役割なんじゃないかと。
私たちの仕事って明確な〆切がないんです。東日本大震災でも感じたのですが、今話せます、聞いてください、という人もいれば、今は話せない、言葉にならない、ということもある。私たちの仕事は自分たちのペースに相手を合わせさせるのではなくて、相手のペースに自分たちを合わせて、細くても長く続けることなんじゃないか。
震災から5~6年経って、仮設住宅に住んでいる方が、ぽろっと、『海を見られなかった』『魚を食べられなかった』といったことをおっしゃって、そういうときに実は本音とか本質が見えてくる言葉をいただくことがあります。こうした取りこぼされがちな声と、長く、向き合っていくことができていくといいのかな。
長橋芽生さん(茨城大学人文社会科学部3年)
安田さんは現場で写真を撮り、伝えてくださっていますが、現場で見ているものと、私たちが画面越しに見ているものは違うと思います。安田さんが現場で見ていて伝えたいことや、私たちにこういうふうに見てほしい、あるいは画面越しから一歩踏み出すことへのアドバイスがあれば教えていただきたいです。
安田さん:1枚の写真で伝えられることは限られているし、誤解も多くされます。東日本大震災の現場でもすさまじい概況を前にシャッターを切るけれど、360度そういう現場であるということはひとつの画面では伝わらないし、現場の独特のにおいみたいなものが削がれてしまいます。見る方には、映っていないものが何なのかを想像してもらえるよう、言葉を添えたりとか......自分もうまくできている自信はないんですけど......心がけています。
1枚の写真が、自分の考えの至らなさで思わぬことにつながってしまうという経験もありました。
東日本大震災のとき、岩手県陸前高田市に私の義理の親が暮らしていました。奇跡の一本松というのをご存じでしょうか、7万本の松林の中で1本だけ津波に耐え抜いた木を朝日の中で見て、すごいと思ってシャッターをきり、新聞などで『希望の松』として掲載してもらったんです。当時大学を出たばかりで、この被災地で何ができるのかと打ちひしがれていたときだったので、この写真のことを義理の父に一番に伝えたんですね。ところが父は、『かつての7万本の松だった頃と一緒に暮らしてこなかった人にとっては、これは希望の象徴に見えるかも知れない。でも自分たちにとっては、あの7万本のうち1本しか残らなかったのかと、津波のすごさを実感するもの以外の何物でもなく、辛い』とおっしゃったんです。
もちろん父の思いが町の人の総意ということでなく、希望に感じる人もいるしそれも大事なことなのですが、『前を向くぞ!』『希望!』という、強く大きく響く希望を遠くへ届かせるよりも、私自身は、大事だけどここに取り残されている声がありますよ、というところに軸足を置きたい。そう改めて考えさせられました。1枚の写真を切り取り発信する上で人の声に耳を傾けたのか、それによって写真の提示の仕方が大きく変わるのだと思いました。
千葉理緒さん(茨城大学人文社会科学部3年)
安田さんの立場は、女性としてということや、ルーツの部分でも複雑に捉えられがちなところがあると個人的に思ったのですが、特にジャーナリズムの人たちは批判を受けやすい中で、安田さんはどのように自分の立場を捉えていらっしゃるのか、そうした批判にどう向き合っているのかをお聞きしたいです。
安田さん:批判はとても大事なことで、自分もいろんなことを批判、批評、政治のことについてもいろんな発信をしていますし、社会的に言葉を発するというのは社会的な責任を伴うことなので、自分の発した言葉も論評の対象になるのは当然のことだと思ってるんですね。
ただ......それに対して、出自に回収していくということは違うだろうと思っていて。『朝鮮人の女だからああいうこと言うんだね』というふうに、自分の言葉の本質を見てもらえず、全部出自に回収してしまう動きが一部にあることがとても残念だと思っています。だから、大きな主語で括って攻撃をしたり、マイクロアグレッションというような小さな攻撃をするのは、それは違う、問題を切り分けるべき、という発信を大事にしています。
それから、よく出自に絡められるという点で、『お父さんが在日コリアンだからヘイトスピーチの問題に携わられているんですね』とかも言われますね。でも在日だからとかではなくて、ひとりの人間としてこれは解決したい問題だから、ということであって、私のアイデンティティを先取りしないでほしいな、と思います。
(自分もSNSで社会問題に関する意見を発信しており、それにコメントを寄せてくれた人のアイデンティティを先取りしてしまっている面があった、そう振り返る千葉さんのコメントを受けて)
私自身も同じことをしてしまう可能性が十分あります。属性はご本人にとって大事なものですが、外から来た自分が、すべてをそこに回収していないかという点は自覚的でありたいな、と思いました。大事なことをリマインドしていただきありがとうございます。
松﨑紗希さん(常磐大学人間科学部4年)
私は福島県いわき市出身で、海沿いの小名浜にある父の会社が当時半壊状態になったということもあり、東日本大震災はとても身近な存在です。入管の話もそうですが、当事者以外はどうしても関心が弱くなってしまう中、ジャーナリストでもなくインスタグラマーでもない私たち当事者がどのように伝え、広げていけば良いのでしょうか。
安田さん:そうですね。当事者の方々が自発的に伝え方を工夫することも大事だと思いますが、それこそ役割分担ができるといいと思います。
私は高校時代にカンボジアへ行ったのがこの仕事の最初のきっかけなんですが、学校で一生懸命報告しても、これ伝わってるのかな......みたいな感じだったんです。ところが卒業するとき、全然喋ったことのなかった同級生が来て、『実はあのときの発表でカンボジアの話を初めて聞いて、将来そういうところで医療活動に携わりたくて、看護学科に行くんだ。ありがとう』って言われて。本当にそれまで喋ったことがなくて、それが最初で最後の会話だったんですが、同じように、松﨑さんと出会ってハッとされたということ、相手の心に種が植わったということってあると思うんです。
身近な方に、等身大でいいと思うので、伝えられる機会があったらば伝えていく。それが自分の思わぬところでじわっと広がっていくのではないでしょうか。私も福島、大熊町へよく行くのですが、いわきを通って東京へ帰るとき、今度は小名浜に必ず立ち寄ろうって、この出会いで思えました。ありがとうございました。
相野谷采さん(常磐大学人間科学部2年)
私は教育学科に所属しています。具体的な世界の状況を社会科で伝える際、私は現地に行っていないので、空っぽな言葉になってしまうし、写真とかを見せても子どもには違う世界のことに感じさせる授業になってしまう。現実を伝えられる授業がしたいのにできないのですが、アドバイスとかいただきたいです。
安田さん:私も教育学科だったんです。
学校の先生としてできることはきっとまだまだあって、生徒さんの反応がすぐ返ってこなくても、大人になって気付くことっていっぱいあると思っています。
私も高校の先生たちからかなり影響を受けていて、保健体育の先生だったんですが、今思うと結構踏み込んだ性教育とかをしてくれたり、それこそジェンダーにかかわることをみんなで一緒に考えようと言って、なぜトイレのマークは男性が青で女性が赤なんだろう、みたいな、当たり前すぎて考えたことなかったってことに気付かせてくれたんです。
その先生は、たとえば出生前診断の倫理的な問題とかエイズの問題とかも取り上げてました。考えたことのなかった視点を提示するのって、身近な大人がたぶん一番できることなんじゃないかな。
あとは、自分だけでは限界があると思ったら、外から人を呼ぶこともできるかも知れない。私はその先生が呼んでくれた、HIVの感染者で、ご自身もゲイだという方の講演が、すごく衝撃だったんですよ。なのに、私は「死にたいと思ったことがありますか」というとてもストレートで無神経な質問とかもしてしまって。でもその人は真っすぐに答えてくれて、「ありますよ」って。でもこういうきっかけで、今は自分は生きようと思ってます、と真摯に答えてくれたことで、自分がすごく無神経な質問をしてしまったこと、初めて当事者といわれる人に出会ったということが、ものすごく記憶に焼き付いているんですよね。
ともすると、学校と家とを往復するだけの生活になりがちの学生に、外との懸け橋をつくれる大事な役割を果たしてくれるのが学校の先生だと思うので、自分なりの視点の提示と、頻繁にはできないかも知れないですが、外の世界とつなぐ直接的な機会をつくるとか、やりようによっていろんな形であるのかなって、自分の経験から思い出していました。参考になりますように。
フォトジャーナリスト?安田菜津紀さんと語る出張ゼミナール
- 実施日時:2022年10月9日(日)16時~16時30分(水戸市主催、茨城大学?常磐大学共催の「ヒューマンライフシンポジウム2022 未来へつなぐメッセージ」に合わせた特別プログラム)
- 実施場所:水戸市役所本庁舎4階
- ゼミナール進行:茨城大学人文社会科学部 横溝環准教授
- 写真撮影:瀬能啓太(PublicArt)