気候変動適応のアジア先進地域で学ぶ
ー茨城大学が幹事校を務める日越大学の気候変動?開発プログラム修了生に聞く
JICA(独立行政法人国際協力機構)が支援している「日越大学」の気候変動?開発プログラム(MCCD)で学び、その後、幹事校である茨城大学大学院の博士後期課程に進学した留学生3人に話を聞いた。
茨城大学と気候変動研究の関わりは長い。2006年に茨城大学地球変動適応科学研究機関(ICAS)が設立された。初代機関長は、気候変動研究のパイオニアの1人で後に国連?IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の評価報告書の統括主執筆者も務めた三村信男前学長。同年には「サステイナビリティ学」を冠した学部横断の授業科目を開設。国連でSDGsが採択されたのが2015年、それよりも10年近くも前の動きだ。そのICASを源流として2020年4月に発足した地球?地域環境共創機構(GLEC)は、令和2年度気候変動アクション環境大臣表彰も受賞している。
その初期から重要な研究フィールドとなっていたのが、南太平洋の島しょ国や東南アジアの国々だ。地球温暖化による海面上昇の影響が早い段階から深刻化し、マングローブの植林や堤防設置による防護、新たな住環境の確保といった適応策が求められた。先進国での工業の発展に伴って排出された温室効果ガスが気候変動を起こし、インフラの脆弱な発展途上国がその影響を受ける。その対策のための資金援助や専門人材の育成は、日本を含む先進国も担っていかなければならない。日本政府とベトナム政府の協力のもと、JICA(独立行政法人国際協力機構)が「日越大学(VietnamJapan University:JU)」という大学を支援することになったとき、修士課程の気候変動?開発プログラム(MCCD)の幹事校を茨城大学が務めたというのは、必然的な流れだった。
茨城大学は幹事校として教育課程をコーディネート。当初のカリキュラムでは、1つの科目を日本の教員とベトナムの教員が半々で担当し、ICAS(当時)の教員はもちろん、国立環境研究所の研究者なども講師として名を連ねた。「日本国内でもなかなか受講できないラインナップ」(関係者)。日本を訪れるインターンシップもプログラムに組み込まれている。スタートは2018年。それ以来、コロナ禍を挟みながらも46人の修了生を輩出している。
日越大学を経て茨大大学院に留学。気候変動を学ぶ3人
日越大学のMCCDで修士号を取得し、それがきっかけで茨城大学大学院の博士後期課程に進学した学生たちがいる。
その先陣を切ったのが、MCCDの第一期生であるドー?ズゥイ?トゥン(Do Duy Tung)さんだ。「もともと製造業で働いていたのですが、あるときひどい咳に悩まされたんです。病院ではすぐに原因がわからず、自分なりに調べると、どうやら大気汚染によるものらしい。それでさらに研究を進めたいと思い、情報収集する中で日越大学を知りました」(トゥンさん)。MCCDが適切なのか不安はあったが、JICAが関わっているというのは安心材料になった。
幸いなことにMCCDのプログラムディレクターを務める理工学研究科(理学野)の北和之教授の専門が大気化学だった。トゥンさんは授業を通じて北教授の研究分野に関心をもち、MCCDを修了した1年半後、茨城大学大学院理工学研究科の博士後期課程に進学。現在も研究を続けている。
トゥンさんと同じくMCCDの第一期生だったブイ?ハイン?マイ(Bui Hanh Mai)さんは、ベトナム国内のNGOの活動に参加する中で気候変動の問題に関心をもった。現在は阿見キャンパスで成澤才彦教授の研究室に所属している。マイさんの印象に強く残っているのが、2019年秋の日本でのインターンシップのことだ。来日する直前、水戸周辺は台風19 号の上陸で大きな被害を受けた。マイさんたちは災害ボランティアへの参加を申し出、茨城大学のメンバーとともに水戸市内のボランティアセンターのコーディネートのもと、家屋の清掃作業などを手伝った。その際目にしたシステマチックな災害復興の仕組みに驚かされた。「日本の復興技術は素晴らしいと感じました」とマイさん。「修了したらベトナムに戻り、母国の農業に貢献したいです。土壌汚染が進んでいるので土壌改良は喫緊の課題ですから」と話す。可能であれば博士後期課程修了後も数年間は日本に滞在し、気候変動に関わる機関で働きたいという。
第二期生のブイ?ティ?ラン(Bui Thi Lan)さんは理工学研究科の横木裕宗教授の研究室で学ぶ。「日立はきれいです」というランさんは、ご主人(日越大学に在学していた)と小学1年生の娘とともに来日した。パリ協定が結ばれた頃から気候変動の問題への関心を強めた。「できればもう数年は日本に滞在して、将来的には気候変動に関わる何らかの機関で働きたい」というランさんだが、当面の目標は「修了できること」と苦笑いを見せた。
茨城大学の博士後期課程の授業はほとんど日本語で開講されているため、正直苦労や不安も多い。大学内で日越大学関連の業務を担当するGLECの教職員たちも懸命にサポートしている。MCCDの修了生同士のコミュニティーも日本?ベトナム両国内で生まれているようで、SNS等で日常的に情報交換もしているそうだ。
トゥンさんは、「私自身はここで知識を得たことで、将来への恐怖感が薄らぎました。修士号を取得したという安心感もありますし。ベトナムの研究機関のレベルは世界的に見るとまだ途上。日越大学をはじめとする高等教育の充実によって、世界に散ってしまっている優秀なベトナム人研究者が母国に戻ってきてくれたらと思っています」と語ってくれた。
日越大学の存在を通じてベトナムに興味。国際交流で環境問題の連鎖を実感
農学部食生命科学科4年生の正田岳志さんのフィールドは霞ヶ浦だ。小さい頃に千葉県の自宅から通い、釣りを楽しんだ。大好きなタナゴの減少に水圏の環境問題が関わっていると知り、それを深く研究したいと思って茨城大学の農学部に進学。現在は西澤智康教授の研究室で湖沼の窒素負荷や温室効果ガスの発生に関わる微生物の生態について研究している。年に数回はGLECの水圏環境フィールドステーションの水質調査のボートにも同乗させてもらう。
そんな正田さんが気候変動の問題を意識し始めたのは、3年生の前期、西澤教授の授業がきっかけだった。「微生物の環境応答が気候変動に大きく関わっているということを人類は知るべきだ、というメッセージを世界の微生物学者のグループが2019年に発信したんです。水圏の環境について勉強したくて微生物には興味があったのですが、そのメッセージを授業で知って、気候変動のことをもっと知らなきゃいけないって思いました」(正田さん)。
それは正田さんにとって、文字通り世界が広がった瞬間だった。「気候変動は全球の問題ですから、狭い視野でいては駄目ですよね。海外にも目を向ける必要がある、そう考えたんです」。
茨城大学、気候変動、海外......というキーワードを辿れば、自ずと日越大学の情報に行き着く。茨城大学が幹事校を務めるMCCDについて知った正田さんは、それまで縁のなかったベトナムに興味を持ち始め、まずはグローバル教育センターが提供?実施している、ベトナム?ハイフォン大学とのオンラインでの交流プログラムに参加した。このプログラムでは、両大学の学生たちが、それぞれ自国の飲食店を取材して食文化を紹介しあうような交流活動を、2?3カ月間にわたって展開。正田さんはそれと並行して、ハイフォン大学の学生と1:1のペアを作り、自由に交流する「タンデム学習」にも取り組んだ。ある日、ペアを組むベトナムの学生に霞ヶ浦のアオコの写真を見せて、「そっちにもこういうのある?」と聞いてみた。するとその学生は「農地の周りでよく見るよ」。環境問題が全球規模でつながっていることを強く実感させられた。
大学卒業後の進路については、日越大学を含む海外の大学も含めて考えたが、ひとまずはこのまま茨城大学の大学院に進み、今の研究を継続することにした。「最近は炭素ばかりが注目されますが、窒素も実は大きな環境問題。まずは湖で窒素を運ぶ微生物の生態を明らかにして、環境改善に貢献したいです。微生物の生態が分かれば、温室効果ガスである一酸化二窒素の排出抑制にもつなげられるかもしれません」。
正田さんは、茨城大学と気候変動、水圏環境とのつながりを最大限活かしながら、今日も霞ヶ浦の微生物たちと向き合っている。
日越大学の気候変動?開発プログラム
日越大学で修士課程の7番目のプログラムとして2018年に開設。日本とベトナムの教員が英語で講義、実習、研究を行い、修士2年次では日本に滞在して研究交流や企業訪問、フィールドワークなどを経験する。茨城大学が幹事校として教育プログラムのコーディネートや日本国内でのインターンシップの調整などを行っている。
取材?文:茨城大学広報室 | 撮影:小泉慶嗣 | 撮影場所:茨城大学水戸駅南サテライト
この記事は茨城大学の広報紙『IBADAIVERS(イバダイバーズ)』に掲載した内容を再構成したものです。