「美術館?展覧会?美術史はなんのためにあるのか」気鋭学芸員招いて議論
―藤原貞朗教授 第33回吉田秀和賞受賞記念シンポジウム
茨城大学五浦美術文化研究所は、3月2日、「美術館?展覧会?美術史はなんのためにあるのか」と題したシンポジウムを茨城大学図書館ライブラリーホール及びオンラインで開催し、約100人が参加しました。
このシンポジウムは、茨城大学五浦美術文化研究所の副所長を務める藤原貞朗?人文社会科学部教授の著書『共和国の美術 フランス美術史編纂と保守/学芸員の時代』(名古屋大学出版会、2023年)が、第33回吉田秀和賞を受賞したことを記念して企画されました。
同書は、1920~30年代のフランスにおいて同国の美術の歴史がどのように形成されたのかを、当時の美術館学芸員が残した記録などから丹念に検証したものです。
シンポジウムの冒頭、開催の趣旨を説明した藤原教授は、「私は、芸術をつくるのはそれを展示する美術館であり、そこを訪れる人と考えている。予めできあがった芸術を受容するのではなく、鑑賞しているその瞬間に芸術を創造していると考えたい」と主張。同書の内容をもとに、1930年代のフランスが「ナショナルな美術の格上げ」というビジョンと戦略を掲げ、美術館の実践を通じて「フランス美術史」という物語がいかに形成されたかという経緯を紹介しました。一方で、「日本では展覧会を通じて日本文化をつくっていくという国家戦略が欠けていたのではないか」と指摘し、国内を代表する美術館学芸員をゲストに迎えた本シンポジウムで確認したい視点として、展覧会?美術館は、①芸術的価値を創出する、②新しい歴史を創出する、③それ自体芸術作品となり、社会空間を創出する という3つのポイントを掲げました。
今回ゲストに迎えたのは、兵庫県立美術館館長の林 洋子 氏、鳥取県立美術館整備局美術振興監?鳥取県立美術館館長予定者(シンポジウム開催当時/2024年4月からは同館長)の尾﨑 信一郎 氏、水戸芸術館現代美術センター芸術監督の竹久 侑 氏の3人です。
兵庫県立美術館館長の林氏は、自身が研究する藤田嗣治(1886~1968)に焦点を当てて議論を展開。藤田が1950年代に代表作をパリの美術館に寄贈し、それらが現在でもフランスに残っていることに触れ、「藤田のフランスでの足跡が刻印できているという点で、フランスの美術館の力を信じていた藤田の勝ちだった」と説明しました。また、1990年代以降の藤田の再評価については、「国内外のアーカイブ研究と保存修復の実践が両輪となった、日本の展覧会として稀有な例だ」と述べました。
さらに林氏は、スペイン生まれでありながらフランス国立の個人美術館がつくられているパブロ?ピカソ(1881~1973)にも触れ、「19世紀後半から20世紀前半の美術史研究においては、芸術家の国籍は非常に重要な問題」「『共和国の美術』の担い手の一定数は帰化フランス人、もしくは非フランス人ということにも目を向けたい」と指摘しました。
鳥取県立美術館館長予定者の尾﨑氏は、日本の美術展において、戦後美術がしばしば「前衛」という言葉を伴って紹介されてきた歴史に着目。「ここで言う『前衛』は、モダニズムに対するアバンギャルドではなく、理解できない他者として自分たちから切り離すものだったとはいえないか」と述べ、戦後の日本の美術展が、海外の研究者の視点を内面化する形で展開されてきたことを指摘しました。それについては、「国立美術館に勤めていた自分にも責任があることを承知の上で」と前置きをしつつ、「私たちの国の美術史は植民地的な形で形成されているのではないか」という強い問題意識を示しました。
水戸芸術館の竹久氏は、まず、同館が体系的なコレクションをもたない「クンストハレ」型のミュージアムであることに言及。「現代美術という、今を生きるアーティストたちの活動を紹介する性質上、新しい作品が制作され、発表される現場に立ちあう場であり、制作そのものに携わることもある」とした。また展覧会企画の具体的な実践例として、東日本大震災をめぐるアーティストたちの活動をその葛藤や経緯を交えて紹介した企画展などを紹介しました。
こうした試みについては、「歴史にも残らないかもしれないような小さな声にも耳を傾け、それを顕在化するような表現やプロジェクトも扱っている」と述べるとともに、「同時代美術への評価は『絶対』ではなく、一般市民に評価が受容されるまでには年月を要することもある」ということから、自身の実践について「未来の学芸員との共同作業」であると表現しました。
後半のディスカッションにあたり、藤原教授は、「文化を残す」という点でのゲスト3人の実践に共感を示した上で、「日本では展覧会や美術館の文化的な力があまりに過少に評価されている。名品を借りてきて並べるだけという間違いが横行してきて、それによって日本の学芸員のステータスは欧米に比べて低いし、学芸員自身も自分の仕事を過小評価してきた歴史があるのではないか」と述べました。
1990年代以降の美術館をめぐる状況を「液状化が進んだ30年間」と評した林氏は、特にこの約10年については、①文化経済というアートマーケットの拡大、②文化観光というインバウンド需要、③子育てや障害などによるバリアを下げてアクセシビリティを確保すること、④コロナ禍以降の芸術家の社会保障 といった要請に対応していかなければならないと指摘。他方、日本で大型の美術展の開催を支えてきた新聞社の経営悪化などから、「地方の公共美術館としては、理論的な研究の進化、もしくは現代作家とのコラボレーションという方向に向かっていくのではないか。クラウドファンディングなどで小規模な支援を得る事例も出てきているが、難しい時代がやってきた」と話しました。
水戸芸術館では、ギャラリー内で市民が創作活動に取り組めるような企画も積極的に展開しています。竹久氏は、そうした企画には「家族連れなどが長時間滞在する姿も見られる」としながらも、「そうした実験的なものに抵抗感を感じる方もいる。そうした反応も見て、マイナーにバージョンアップしながら展覧会のあり方を考えるということを意識しています」と話しました。
最後に、主催者代表として挨拶に立った五浦美術文化研究所の片口直樹所長?教育学部准教授は、「岡倉天心は『美術史は未来の美術のためにある』と言ったが、それを感じることができた。今回問いかけられたことについて、学生や子どもたちにも受け継いでいかなければと思った」と述べ、今回のシンポジウムを締めくくりました。