世界初、素粒子ミュオンの冷却?加速に成功
―ミュオン加速元年、ついにミュオン加速器の実現へ
研究の背景
電子は電気(電荷)を帯びた粒子であり、磁場をかけると磁場に巻き付くような円運動をします。これをサイクロトロン運動といいます。
電子はまた小さな磁石でもあり、磁場の中に置くと「スピン」と呼ばれる自転運動の軸が首振り運動をします。これを歳差運動といい、粒子の磁石の強さ(磁気能率)が大きいほど速くなることがわかっています。
英国の物理学者ディラックの理論によれば、電子の磁気能率はサイクロトロン運動の周期と歳差運動の周期が完全に一致するように決まります。ディラックの考え方では電子の磁気能率は厳密に2になります。磁気能率を「g因子」という記号で書き、この場合は「g=2」です。
しかし実験をすると、gの値は2よりわずかに大きいことがわかりました。実は首振り運動が理論予想より速かったのです。これは電子の周囲の真空が実は空っぽではなく、電磁気力を担う光子(光の粒子)をごく短い時間なら一時的に生み出したり消したりできる「量子効果」が原因で、「異常磁気能率」といいます。異常磁気能率は、素粒子の標準理論に基づき、極めて精密に計算することができます。電子の場合は実験と10桁以上の精度で一致しています。
このように標準理論は数学的整合性とこれまでの実験データに立脚して構築された堅牢な理論で、電子の異常磁気能率の理論と実験の高精度一致はその表れの一つです。しかし近年、標準理論では説明できない現象が報告され、理論は拡張を迫られています。重力を含んでいないことや、暗黒物質や暗黒エネルギーを説明できないことなどがその限界と考えられています。
標準理論がどのように拡張されるべきか、ミュオンを用いた測定がその指針を与えると考え、研究を始めました。標準理論を超える未知の粒子や力が存在すれば、その効果がミュオンに顕著に現れ、観測しやすいと考えられているからです。ミュオンの異常磁気能率(g-2) や電気双極子能率(EDM)の超精密測定により、素粒子標準理論に含まれない未知の素粒子や物理法則の存在を明らかにしたいと考えました。
米国で行われた実験ではミュオンg-2の測定値が標準理論の予想値よりも大きい可能性が示唆されており、日本では大きさが20分の1のコンパクトな実験装置を用いた全く異なる方法でこれを検証します。それにはミュオンを冷却?加速することにより、指向性が高いビームを作ることが必要ですが、技術的に難しく、実現していませんでした。
研究のポイント
ミュオンの加速が難しいのは、加速器施設で作る通常のミュオンビームの向きや速さがそろっておらず(指向性が悪く)、電場で粒子を加速する高周波加速空洞に効率よく入れて加速することができないためです。そこで研究グループは、ミュオンをいったんほぼ静止させてから、高周波加速空洞で加速することによって、向きや速度や向きのばらつきを飛躍的に減らすことができると考えました。こうした指向性が高いミュオンビームを用いれば、高周波加速空洞で効率よく加速することができます。今回、その技術の実証に成功しました。
研究グループは、ミュオンの加速を実現するために今回の実験に先立って、ミュオンを効率よく冷却する方法の開発と試験やミュオニウム負イオンを用いた高周波加速空洞の試験を重ねてきました。
ミュオンg-2/EDM実験では、ミュオニウムから電子をはぎとった素粒子としてのミュオンの加速が必要です。そこでミュオニウムから電子をはぎ取るため、発振周波数を精密制御した超高安定レーザーを開発し、長時間安定に冷却されたミュオンを生成することに成功しました。これらの準備に基づき、世界最大強度のパルスミュオンビームを供給するJ-PARCで実験を行ったことで、今回、ミュオンの冷却?加速に成功しました。
光速の30%(エネルギーの単位では4MeV)の速度を持つ正ミュオンビームをいったん光速の0.002%(25meV)まで減速(冷却)し、改めて光速の4%(90keV)まで加速できました。
J-PARC物質?生命科学実験施設ミュオン実験施設において、供給されるミュオンビームをほぼ止まった状態まで冷却?減速し、高周波加速空洞に入射することにより、ミュオンを光速の約4%まで加速することに成功しました。図3は電子をはぎとるレーザーをミュオニウムに照射したとき、高周波加速空洞の出口で、想定された速さ(光速の4%、エネルギーの単位では90keV)の正ミュオンが検出されたことを示します。この方法によって正ミュオンの加速が可能であることがわかりました。さらに加速することで、指向性が極めて高いミュオンビームを得ることができます。
世界には多数の加速器施設がありますが、ミュオンの加速器は存在しません。今回実現したミュオンの冷却?加速技術によって、世界で初めてのミュオン加速器を実現します。これを用いて素粒子標準理論のほころびの超精密検証や時間反転対称性の検証実験(ミュオンg-2/EDM実験)、ミュオン顕微鏡など、さまざまな活用が可能です。さらに将来には、TeVを超えるエネルギーのミュオンを用いた衝突型加速器(コライダー)にこの技術を利用するアイデアもあり、夢が広がります。