より良い小児用補助人工心臓の開発へプロジェクト始動
―研究開発をリードしてきた増澤副学長に聞く
心臓に疾患を抱える娘のために人工心臓の開発に挑んだ夫婦の実話を描いた小説や映画が話題を呼んでいます。人工心臓とは、心臓のポンプ機能を代替、または補助する人工臓器で、心臓に重い疾患を抱える方に使用されるものです。
その人工心臓の研究?開発を牽引してきたのが、茨城大学の増澤徹副学長。工学部?理工学研究科の教員として、約30年にわたって磁石の力を用いた磁気浮上型人工心臓の研究?開発を続けています。さらに今年、増澤副学長を中心に国内トップの工学者や医学者が集まり、小児用の補助人工心臓の実用化を目指すプロジェクトが動き出します。増澤副学長に小児用補助人工心臓を取り巻く現状や、プロジェクトの概要を聞きました。
人工心臓とは
人工心臓は、自分の心臓を取り出し代わりに植込む「全置換型人工心臓」と、自分の心臓を体内に残したままポンプ機能を補助する「補助人工心臓」の2種類に大別されます。現在世界で主に使用されているのは主に左心室の補助を行う補助人工心臓です。
補助人工心臓は、ポンプを体内に植込む「植込み型」と、血液を体内から体外へ一時的に取り出し、体外の血液ポンプで体内に戻す「体外設置型」にさらに分かれます。体外設置型は機械も大きく、感染防止の観点からも植込み型が望ましい形です。
植込み型補助人工心臓は、インペラと呼ばれる羽根車を回転させることで血液を送り出す仕組みのものが主流です。本物の心臓のように血液を吸い込んで吐き出す「拍動流型」に比べ、小型で、耐久性が向上しました。ただ、インペラの回転軸があるものは、回転軸を支持する部分が発熱して血液が固まってしまったり、血液中の成分をすり潰したりと、色々な問題がありました。
増澤副学長と長真啓准教授の研究室(以下、増澤?長研究室)で研究?開発しているのは、電磁石や永久磁石の金属を引き付ける力を利用してインペラを浮かせて回す「磁気浮上型」の補助人工心臓です。インペラの軸がなく、どこにも接触しないため、発熱や血液中の成分の破壊を防ぐことができます。現在使用されている大人用の補助人工心臓も磁気浮上型が主流です。また、磁気浮上型の技術は全置換型人工心臓にも応用されつつあり、世界で初めて臨床試験を先月開始した米BiVACOR社の製品も増澤?長研究室の技術を基本としています。
小児用補助人工心臓の現状
小さな子どもは大人に比べ心臓が小さく、血液量が少ないため、特別な人工心臓を使う必要があります。大人用の商品はいくつか種類がありますが、現在、小児にも使用できる補助人工心臓は、全世界でも独Berlin Heart社の体外設置型「EXCOR」しかありません。商品化や競争が進まない理由を、増澤副学長は「経済的合理性(採算性)が低く、製品化が困難なことが1番の問題」と指摘します。このEXCORですら、使用例が年間160例しかないからです。
世界唯一の小児用補助人工心臓として数々の子どもたちの命を救っているEXCORですが、万能ではありません。EXCORは「体外設置型」の補助人工心臓です。子どもたちは、移植まで数年間待つことも珍しくありませんが、使用中は入院が必要で、外で遊んだり、学校に通ったりすることはできません。さらに、現在日本国内で保有している同機器は20台程度に限定され、必要な時に使用できない可能性があるのです。
増澤?長研究室では、これらの課題を克服しようと、増澤副学長と長准教授を中心に、世界初の植込み型の小児用磁気浮上型補助人工心臓の実用化に挑戦しています。植込み型でも、バッテリーや制御装置はケーブルを通して体外に出す必要がありますが、それらは持ち運びができる大きさのため、使用中ずっと入院する必要はありません。実用化されれば、医療ひっ迫の改善も期待できます。
現在開発中の植込み型の小児用磁気浮上型補助人工心臓は、高さ43ミリ、直径35ミリと小型。ヤギに植え込んだ実験では、世界最長となる25日間駆動しました。この実験では電子回路の不具合でポンプが停止しましたが、血液ポンプ内に血栓等は確認されませんでした。不具合がなければさらに長期間駆動できた可能性が高いといいます。
一方、増澤副学長は「大学では原理を確認するためのものを作るところまではできても、製品化のために改良して高度化していくことは難しい」と1大学研究室でできることの限界を語ります。人工心臓には、ポンプはもちろん、人工血管や、制御装置、バッテリー、ケーブルなどが必要です。血液の流量などはコンピュータで制御します。機械工学や流体工学、電気電子工学、情報工学、さらには医学???と多岐にわたる知識と技術が必要になるのです。
小児用補助人工心臓の実用化に向けて
そこで2023年2月、技術の蓄積や社会?政府?企業などへの訴えかけを目的に、増澤副学長が理事長となってNPO法人「オーファンデバイス研究開発」を設立しました。希少疾病用の医薬品をオーファンドラッグと呼ぶことから、希少疾病用の医療機器開発を目指すNPO法人としてこの名前を付けました。メンバーは、長准教授や日本の主たる人工心臓研究者に加え、東京大学医学部附属病院の小野稔教授(日本移植学会理事長)、千葉大学医学部の松宮護郎教授(日本人工臓器学会理事長)などの医学者です。
このNPO法人を基盤に、小児用の補助人工心臓の実用化を目指すのが「ALL JAPANで挑む革新的植込型小児用補助人工心臓の開発」プロジェクトです。このほど日本医療研究開発機構(AMED)の医療機器等における先進的研究開発?開発体制強靭化事業に採択されました。プロジェクトでは、円滑な技術移転環境の整備やシステムの高度化、市場拡大という課題の克服、事業化戦略の構築などを目標に挙げています。
増澤副学長は「技術的には、製品化は可能です。戦闘機1台より安い数十億円かければできます」と言います。「本当は企業がやった方が早いが、やれないから、代わりにやろうと」とも。とはいえ、採算性が悪い研究は採択されづらい現状があります。今回のプロジェクトでは、小児用補助人工心臓を「小型循環補助デバイス」と位置づけ、大人向けに適用を拡大することなどを盛り込み、経済的合理性の克服を目指しました。
具体的には、大人の右心不全用補助人工心臓として活用する、という案です。心臓には、血液を全身に送る左心室と、肺に送る右心室があります。補助人工心臓を植える患者の多くは左心不全ですが、このうち10%以上の患者は右心も悪化するとの報告があります。右心の仕事率は左心に比べて少ないので、増澤副学長は「この小さい補助人工心臓は右心補助にちょうどいいんじゃないか」と考えました。大人の左心用補助人工心臓の使用例は年間4000例。その10%の400例が右心補助候補になるとして、小児用の160例と合わせれば、年間600例近くに小型循環補助デバイスが適用できそうです。「このうち例えば200例に使えれば、経済的に成り立ちます」
今回のプロジェクトでは、これらの構想を実現するために、全国トップレベルの工学研究者や心臓外科医を結集させました。金属加工やモータ制作などは企業に外注し、さらに医療経済の専門家も招聘する予定です。
増澤副学長は問います。「技術があるのに、お金がかかるからって赤ちゃんの命を救わなくていいんですか?」と。
「私は今年で定年退職です。今まで茨城大学の教員として教育、研究に携わってきました。ここ10年は大学運営にも力を入れてきましたが、第2の人生は今回のプロジェクトを通して更に人々を救う技術の開発に注力していきたいと思っています」
(取材?構成:茨城大学広報?アウトリーチ支援室)